数々の道を自分で選んで来たように思っていたけれど、本当はただ、引かれる手を

振り解かなかっただけではないだろうか。
















<特別な儀式>















薄暗い、路地の奥の奥。

連絡もらって直行したら、想像したことの無い世界が広がっていて愕然とした。






鮮やかな、赤い海。






その嘘みたいな景色の中に土方さんは横たわっていた。

どうやら腹を斬られたらしい。

土方さんの鼓動は弱く、眼はどこか虚ろに見えた。

虫の息、とはきっとこういうのを言うんだと思う。







このひとがこんなやられ方するとは露ほども思っていなかった。

土方さんは呆然とする俺を見上げ、少し細い声で言う。






「まあ、座れ」





出血多量で死にそうな人間の言う台詞じゃないと思った。



























応急処置はした。

救急班にも連絡は行っているからもうすぐ着くはずだ。

俺が出来ることは全部やったから、後はもう待つしかない。

ただじっとこのひとを見守っているしかない。

俺がぐるぐると色んなことを考えていると、土方さんが横たわったまま呟いた。






「総悟」
「…へい」
「近藤さんによろしくな」





このひとの考えていることが瞬時に分かって、困惑が加速した。






「あんた何言って…」
「お前も見りゃわかるだろ」






もう無理だよ。

後に聞こえた声は半分くらい掠れていて、ほんの少ししか聞こえない。

俺の中の本能的な何かが、このひとの残り時間をやかましく叫び続けていた。

あと十数分、いや数分。もしかしたら数秒。





こんなとき、何て言ったらいいんだろう。

色んな感情が喉の奥から湧いてきて、それぞれ外に出ようともがきあう。

言いたいことは数え切れないほどたくさんある。

それなのにどうして、どうしてひとことも出てこない。






土方さんはその間ぼんやりこっちを眺めて、何を言われるのかとしばらく待っていた

けれど、結局俺が何も言えないことに気付いて緩く苦笑いして言った。






「顔寄せろ」
「え」
「いいから」






そう言うと同時、土方さんは俺のスカーフに手を絡め、ぐいっと下に引き寄せた。

白いスカーフが、このひとのどす黒い赤で染まってゆくのが見える。

俺の軽い頭はさしたる抵抗も出来ず、土方さんの手に導かれるまま落ちていった。






このまま行ったらどうなるか、考えた俺の身体がびくんと反応する。





そう思ったときにはもう、いつの間にか土方さんの右手が後頭部に添えられていて、

土方さんはその手でゆっくり俺の頭を押し、ほんのわずかに残っていた距離をじわり

と縮めた。







恐る恐る、触れる。

それはとても柔らかくて、けれども同時に酷く冷たい。





感じたことの無い感覚。

感じるべきでは無い感覚。





土方さんは丁寧に、そして優しくかさねていった。

言葉よりも確かなものが、俺の中にゆっくりと入ってくる。

とくんとくんと小さな音を立てて。






「…土方さん」
「じゃあな」






唇越しに土方さんの鼓動がどくんと波を打ち、後頭部に置かれていた片手がずるり

と滑り落ちた。

ばしゃりと音を立てて、血の海へ。








その飛沫を浴びて眉をひそめる。

土方さんはその雨を避けず、再び穢れた赤に濡れた。

だけどこのひとにはもう、関係無い。

だって、土方さんはあの河を越えたのだから。






からっぽの沈黙が降りてくる。







唇に残る甘さと、血の匂いの気持ち悪さと、そして哀しさの混沌。

頭は何も処理出来なくて真っ白だったけれど、身体は正直って本当だ。

ぽたぽたぽたぽたと、俺は塩辛い雫を土方さんの白い肌にこぼし続けていた。



























あの姿勢のまま、幾度も幾度も瞬きをした。

視界は滲むばかりで、違う結末に切り替わることは無い。







目の前にあるのはただの器。

俺が追っかけてきたあのひとの残骸。






自分の唇がまた、どくんと波打つ。

そっと指を当ててその鼓動に触れ、無くなったはずの存在を感じてみる。

ここにあのひとがまだいるような、そんな錯覚にぐらりとした。







じわじわと侵食されていく、見えない何か。

眼に映るすべて。耳に入るすべて。

それらがゆっくりと、だけど確実に染め上げられていく。

それはもちろん、赤い海に眠ったあのひとの色で。



























思えば、俺の行動の基準はいつも土方さんにあった。

小さいときから密かに憧れ、だけどそう認めるのも癪でわざわざ土方さんとは違う足

場を持った。






もしあのとき近藤さんがあのひとを連れてこなかったら、その位置は間違いなく俺の

ものであったはず。

けれど土方さんがその場所を埋め、それ故に俺は気ままに浮かんでいられた。






すっぽりと抜け落ちてしまった場所。

本来、俺が占めるはずだった場所。

あのひとは俺から勝手に奪って、あげく、勝手に返して帰っていった。






最後の最後まで、あのひとは本当に理不尽だ。

俺は、もう少しふわふわと浮かぶように生きていたかったのに。

あの儀式は俺を、いとも容易く地面に引き摺り下ろした。












ちらと土方さんの顔を見る。

赤い海に横たわる土方さんの顔は妙に満足気で、すごく腹が立つ。












見上げた空は静かだった。

周りの暗闇に溶け合うようなカラスが薄汚い翼で空を横切り、その奥では控えめに

いくつかの星が瞬いている。












世界はひっそりと静まり返ってしまった。












眼球は涙で浄化され続けるけれど、昨日までの景色を見ることは出来ない。

この眼に映るのはもう、土方さんが見ていた世界だ。





















end



沖田総受祭さまへ捧げます。

(2006.8.9)



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